人が人であるために:書くということの話

いよいよ3月も終わり、明日からまた新しい年度が始まろうとしていますが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

 

明日のお昼には新たな元号が公布されるらしいですが、僕はそれどころではありません。

 

始まるのです。仕事が。

 

f:id:takeshin619:20190331222107p:image

 

世の多くの人々にとってそれはごくごく当たり前なのでしょう、働くということは。

 

そう、働くというのはそういうもののはずです。

 

大体の人は高校か大学を卒業して、そこから定年までの40年くらい、長い人であればもっと、働くことになります。

 

そうして既に職を持ち、日々働いている人にとっては働くということは当たり前のことなんでしょう。

 

ところがどっこい、人生最後にして最大のモラトリアムにどっぷり浸かっている僕にとって仕事とは、社会復帰といっても過言ではなく、とても大げさなものなのです。

 

 

 

僕の父は公務員で、僕の母も元公務員でした。

 

そんな家庭なのでウチは割と堅実な家で、決して厳しいとかではなく、ただただ真っ当なそんな家でした。(そしてそれがどんなに恵まれているかも僕は分かっているつもりです)

 

だから将来は、僕も公務員になるんだろうなとぼんやり思っていました。

 

というかそれ以外の人生は想像もつかなかったんだと思います。

 

とにかく、大学3年の秋の時点では、僕は公務員試験の勉強をしていました。

 

 

 

ところが、冬。僕はふと思いました。

 

これから先、ずっと仕事をして生きていくんだと怖くなりました。

 

繰り返される日常、仕事。

 

自分が今まで生きてきた倍以上の時間を費やす仕事が、なんとなくの公務員で本当にいいのか。

 

良くない。

 

良いわけがない。

 

どうせやるなら、自分の好きなことを、好きだと思えることを仕事にしよう。

 

そう思いました。

 

そんなわけで、僕は明日から出版社で働き始めます。

 

 

 

何故、出版社なのか。

 

全てがデジタル化されていく現代、出版社に未来はあるのか。

 

よく聞かれます。

 

というか就職の面接では鉄板の質問でした。

 

何故、今、出版社なのか。

 

その度に僕は、気の遠くなるような話をしていました。

 

 

 

気の遠くなる話をします。

 

人を、人たらしめているものとはなんなのでしょう。

 

人が、ヒトではなく人であることの理由はどこにあるんでしょう。

 

例えばパスカルは「人間は考える葦である」と言いました。

 

人間は自然の中でとてもか弱い存在であるが、「考える」ことができるという点で宇宙よりも偉大だというのです。

 

ではこれが答えでしょうか。

 

僕はこれは正確ではないと思います。

 

今これを書いている僕の隣を歩いている鳩。

 

あいつもきっと考えています。

 

3歩あるけば忘れるトリ頭かもしれませんが、鳩に限らず多くの生物は考えるでしょう、少なくとも何かは。

 

重要なのはその思考の複雑性です。

 

何故、人間は他の動物よりも高度で、複雑で、抽象的な思考ができるのかということが問題なのです。

 

 

 

では答えは「コミュニケイション」でしょうか。

 

人間は言語を操ります。

 

言語を操るということは他者とコミュニケイションが取れるということです。

 

そしてそれは、これまで自己完結的だった思考が、世界が広がるということを意味します。

 

社会性を持つと言い換えることもできるでしょう。

 

しかしこの答えも物足りないような気がします。

 

確かに話すことが社会性をもたらし、高度な思考につながっているのは間違いないでしょう。

 

しかし一方で話す、コミュニケイトするのは人間だけではありません。

 

イルカは超音波を使って獲物を見つけたり、仲間と会話をします。

 

カラスは鳴き声で仲間と連携を取り、しかもその鳴き声には地域によって変わる方言のようなものもあると言われています(マスターキートンで得た知識)。

 

イルカもカラスも賢い動物として知られているので、会話ができるということが発達した知能と関わりがあるのは間違いないですが、これも人間特有ではなさそうです。

 

 

 

では、人を人たらしめているものはなんなのか。

 

僕は「文字を書くこと」だと思っています。

 

文字を持たなかった頃の人類にとってコミュニケイションは(多分)その場限りのものでしかなく、何かを誰かに(隣にいる人にせよ後世の人にせよ)伝えるには口伝しかありませんでした。

 

しかし文字は違います。

 

文字は形に残り、場所も、時代も、性別も、時には人種や国境も超えられます。

 

例えば僕はこの文章の下書きを、新宿のカフェテラスで、夕方に、手書きでメモしました。

 

そしてそれを、自宅のソファで、夜に、タイプしています。

 

ほらね、簡単に時と場所を超えられた。

 

もちろん書いたものが失われてしまえば(例えば下書きしたメモを紛失したり)それまでですが、それでもこれは口頭での伝達とは大違いです。情報の量自体が大きくなり、しかも考えたことをより正確に蓄積していくことができるからです。

 

 

 

そう、人を人たらしめているのはこの部分だと思うのです。

 

そしてその事実は活版印刷術というアップデートを経てから今日までも、基本的に変わらない、とても普遍的な営みだと思います。

 

ということはつまり、本を形にする出版社は人間の思考を形にする、とても根源的な意味のある仕事だと思い、だからこそ僕は出版社で働きたいと強く思ったのです。

 

 

 

とはいえ、本が、漫画が、雑誌が、売れなくなってきているのもまた事実です。

 

そしてその中で、モラトリアムを謳歌しすぎた僕にとって、きっと仕事がいやになったり、投げ出したくなったりする日もいつか来ると思うのです。

 

だから僕は今日これを書きます。

 

仕事を始めた時の自分の思いを、いつでも思い出せるように。

 

今の思いが時や時間や嫌な気持ちも全て超越して、いつかの自分に届くように。

 

文字にはそんな力があると思っているから。

 

おしまい

 

 

バイオハザードのゾンビはパフェを齧るのかの話

僕って影響されやすいタイプじゃないですか。(唐突)

 

なので常にいろんなものに興味津々、いろんな個人的ハヤリがあるんですけど。

 

f:id:takeshin619:20190306205556p:image

 

最近のそんなもののうちの一つがパフェなんですね。

 

僕は北海道出身なんですけど、故郷北海道の道庁所在地SAPPOROでは締めラーメンならぬ締めパフェが流行っているという噂を結構前から耳にしていたのです。

 

甘いもの好きな僕としては是非ともトライしてみたかったんですが、いかんせん帰郷する回数もめっきり減って完全に東京シティボーイにもなってしまった僕はなかなかありつけず。

 

そうこうしているうちに締めパフェ文化が名古屋に伝搬したという噂を聞きながらも結局食べられず。

 

そうしていると今度は東京は渋谷に、締めパフェ専門店が札幌から上陸したというではないですか。

 

とある筋によると「どこまで行っても渋谷は日本の東京」らしいですし(?)、ということはつまり締めパフェという文化はすでに日本的な一大ブームと言っても過言ではないと思うのです。(圧倒的暴論)

 

(渋谷は日本の東京云々については

 

 

を参照してください、僕もよく知りません)

 

ところがどっこい、基本的には新宿をテリトリーとする僕にとっては渋谷に行く機会があまりない。

 

行ってみたいなあと思い続け悶々とし、結局近所のデニーズのパフェで我慢するという体たらく。

 

そんな極限状態でさらに僕のパフェ欲を刺激したのが愛聴しているラジオでやっていたこの特集。

 

アフター6ジャンクション 特集:パフェは最高のエンターテインメントだ!特集 https://nhsw9.app.goo.gl/n4gK #ラジオクラウド #TBSラジオ

 

この特集すごい目から鱗だったんですけど、特に僕の中で印象に残っている話が

 

「パフェは自由度が比較的少く、順番がある程度決まっている

 

っていう話なんですよ。

 

パフェって縦長の器に盛られていますよね。

 

で更に、下には型崩れしにくいコーンフレーク系が、中盤にはある程度の強度があるフルーツやアイスクリームが、そして上層部には生クリームやソースが、何層にも積み重なって盛られていることが多いですよね。

 

ということは必然的に、上から少しずつ崩しながら、下へ下へ掘り食べ進んでいくという食べ方を我々は半ば強いられているのです。

 

そしてつまりそれは、作り手がある程度食べる順番を想定し、コントロールができる、例えばコース料理のような食べ物であるというふうにこの特集では言っておった訳です。

 

 

 

話は変わって他に僕がハマっているものの一つとしてテレビゲームがあります。

 

こっちはパフェとは違い、最近のある程度メジャーな作品は実際にプレイするようにもしてますし、そうでなくても実況動画

 

(ゲーム実況のあれこれについてはこの記事

http://takeshin619.hatenablog.com/entry/2018/12/31/145959

を是非読んでくだされ)

 

で追っかけているつもりです。

 

でもって、今年に入ってからかなり面白いと思っているのが「バイオハザード RE:2」なんですよ。

 

細かいことは是非各自で調べていただけると幸いなんですが、これはかつて初代PlayStationで発売されたソフトバイオハザード2を、内容はほぼそのままに、ただし現代のゲームに慣れしたんでいるプレイヤーも満足できるようなゲームシステムを搭載することで一から新しく作りなおした作品です。

 

ちなみにバイオハザードシリーズというのは、ナンバリングされているいわゆる本筋のストーリーだけですでに7本(0を入れれば8本ということになります)、それ以外に外伝的なもの(リベレーションズやらクロニクルズやらなんやら)を入れるとものすごい数で世界観が構成されているのですが、こんだけたくさん出ているとゲームシステムや雰囲気みたいなもんも結構バラバラだったりするんですわ。

 

例えばよく言われる分析でいうと、本編シリーズの1〜3は正統派サバイバルホラー路線、4〜6はアクション寄り。で7で再びホラー原点回帰。みたいに年代に合わせて微妙に路線変更みたいなのを重ねてきてるんですね。

 

なので今やっているバイオRE:2はバイオ2のリメイクなので初期の頃のサバイバルホラー路線を踏襲しているということになります。

 

 

じゃあそもそもサバイバルホラーってなんなのか。って話ですよね。

 

こういう時に便利なのはWikipedia、もちろん。(そもそも論を展開する時にはとりあえず外部ソースで定義づけをするというのはこういう文章を書くときのお約束です)

 

以下「サバイバルホラー」の項目(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%83%BC)より抜粋。

 

サバイバルホラー(survival horror)は、コンピュータゲームのジャンルの1つで、プレイヤーが、アンデッドや超自然的な敵などから生き延びることを目的としたゲームのことを指し、閉所恐怖を感じさせる場所が舞台で、第3者からの視点でプレイするというのが典型的なものである。

 

だそうです。

 

たしかにバイオRE:2はいくつかの狭い屋内(例えば警察署や下水処理施設など)が舞台になっていて、ゾンビやらタイラントと呼ばれるアンナチュラルな敵から逃れることが目的なのでまさにサバイバルホラーと言えます。

 

(というかそもそもサバイバルホラーってバイオシリーズを表象するために生まれた言葉らしいので当たり前なんですけど)

 

それに加えてサバイバルホラー路線のバイオシリーズに特徴的なのはシナリオが進むにつれて解放されるマップと、携帯アイテムの制限というのがあると思います。

 

今作では警察署の中を移動する際、鍵のかかっている部屋というのがいくつも存在しています。しかもそれらの鍵は共通しておらず、この部屋はハートの鍵、あっちとそっちの部屋はスペードの鍵という風になっていたり、あるいは各所に散りばめられたメダルをはめ込むと開く鍵や途中で手に入れる宝石をあれこれ工夫してギミックを操作したりとアイテムを順番に使用しシナリオが進むことで探索範囲が広がっていく構造になっています。

 

これは近年流行りの脱出ゲームととても似た構造だと言えるかもしれません。

 

さらにプレイヤーが持ち運べるアイテムの数には制限があり、謎解きのためのアイテムばかりをも持ち運んでいると肝心の武器が持ち運べず、あっさりゾンビにやられてしまったり。

 

だからといって武器や弾薬でアイテム欄のスペースが埋まると物語を進める上で必要な不可欠なアイテムを入手出来ず、ゾンビのごった返す署内を一度引き返してセーフハウスでアイテムを整理したのち、もう一度取りに戻るみたいなめんどくさいことこの上ないことをしなくてはならなくなったりするのです。

 

さらにさらに、プレイ中入手出来うる弾薬の数は決まっているので、無闇矢鱈と銃をぶっ放しているとボス戦で手も足も出なくなり詰む。という絶望的な状況も容易に生まれます。

 

だからこそ、ゾンビゲームであるにもかかわらず、敢えてこの敵は倒さず迂回して避ける的な戦略を上手に採る必要がある。

 

そういった意味でも自分の持っているリソースうまく組み合わせて活用する感じがとてもサバイバル感を生み出し、そしてそのギリギリ感が恐怖に直結するというとても素晴らしいゲームシステムなんですね。

 

 

 

バイオハザードの話が長くなりましたが、このサバイバルホラー路線のバイオってパフェととても似通っていると思うのですよ。

 

パフェってさっきも書いた通り、簡単に食える食べ物ではないじゃないですか。

 

油断すると崩れてしまう。

 

そしてなんなら崩れてしまっても食べることはできるけれど、できるなら綺麗に最後までいきたい。

 

だから食べながら順番やらタイミングを考え、徐々に徐々にフィナーレへと進んでいくわけです。

 

それはまさに、弾薬を節約し、採るべき戦略を考え、アイテム欄の構成を考えながら極限状況を生き抜くバイオハザードだといっても過言ではないと思うのです。

 

そしてもっと言えば、おそらくそうやって食べるように(プレイするように)作り手は見越して作っているに違いない。

 

だからこそ、綺麗に食べ終えたときの(クリアしたときの)達成感は何にも変えがたいものであるはずなのです。

 

 

 

オープンワールドゲームが席巻し(そしてもちろんオープンワールドが技術的には大革新だったというのはその通りでしょう)ている現在のゲーム業界で、作り手が規定したシナリオを筋に沿ってプレイしていくゲームシステムが押され気味なのは間違いないし、過激な人はそれを過去のゲーム体験だとも言うかもしれません。

 

それでも僕は、才能に溢れたクリエイターが考えに考えた構成に従ってコースを堪能するのはとても贅沢なことだと思うので大好きです。

 

そんなことを考えながら、肉を貪るゾンビのように、甘い締めパフェを頬張りたいなと思っています。

 

 

おしまい。

 

 

追記

どうでもいいんですけど、ついに記事の最初に貼るサムネイルにいらすとやのものが使われている件について、僕のブログにもいらすとやの波が押し寄せているのかと悲嘆する向きも読者の中にはあるかもしれませんが、どのサイトにも使われているいらすとやの素材はまさにゾンビ敵であるという皮肉を込めたつもりでこのサムネイルを選定しており、僕の中ではこれはいらすとやで世界が溢れてしまうことへの警鐘なのです。決して手を抜いたわけではありません。決して。

 

遅れてきた青春と、舐り回したい過去の話

※今日の話はいつも以上に性格の悪い僕の魂の発露が現れちゃってます。不快になったらごめんなさい。

 

あけましておめでとうございます。

 

いやあ明けましたね。

 

だいたい明けるんですよねえ。

 

 

f:id:takeshin619:20190109004129j:plain


 

ところでみなさんお年玉もらいました?

 

続きを読む

主観と客観の狭間で本田翼さんのファンが苦しんだ話

もう2018年も終わろうとしていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 

僕って趣味がたくさんあるじゃないですか(唐突)。

 

f:id:takeshin619:20181231145641p:image

 

 

大学に入ってから増えた趣味も結構あって、例えばテレビゲームなんてのもその一つなんですね。

続きを読む

ふざけんな超大作の話 【スター・ウォーズ 最後のジェダイ編】

前回のブログで『ジュラシック・ワールド 炎の王国』に吠えてからもうすでに2ヶ月。

 

takeshin619.hatenablog.com

 

あそこで次は『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』に対して怒るぞ!!なんて言っておきながら何もしないままそんなに経ってしまいました。

 

f:id:takeshin619:20181117202133j:plain

 

いつもの僕なら適当にお茶を濁して全然違う話を始めるところですが、今回は違います。

 

そう、そのくらい僕は

 

オコテイルのです。

続きを読む

ふざけんな超大作の話 【ジュラシック・ワールド 炎の王国編】

僕こっち以外に映画のブログもやってるじゃないですか。(知らないじゃないですか)

 

takecinema8619.blogspot.com

 

これなんですけど。

最近全然更新してないんですけど。

 

f:id:takeshin619:20180828163707j:plain

 

 

なんでかって言うとそんなに語りたい映画もあんまりないし、 そもそもbloggerよりもはてなブログの方が断然使いやすいって言うのもすごく大きいんですね。

 

でも今日は映画について書きたいことがあるので書こうと思ったんですよ。

 

書きやすいはてなブログの方で。

 

まあまあ、興味ない人も多いと思うんですけどお付き合いください。

 

 

続きを読む