僕のスキャナが人類の文化を途絶えさせるかもしれない話

東京に引っ越す前、高校在学中に住んでいた下宿の汚い部屋を片付けながら思いました。
 
なんだって僕の部屋はこんなに汚いんだろう。
 
なんだって僕の部屋にはこんなにものがあるんだろう。
 
捨てるものの山を見て気がつきました。圧倒的に不要な紙類が多い。
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これ性格的な問題だと思うんですけど、絶対ないしほぼほぼ二度とは見ない(使わない)であろう書類でも「もしかしたら…」って考えてしまう自分がいるんです。
 
そしてそうやって溜まっていった紙類が部屋をどんどん汚くしていくということに気がつきました。
 
 
 
そこで、今年からはそのような失態は犯さないようにしようと思い立ちあるものを買いました。
 
2週間位前のことだったでしょうか。スキャナを買ったんです。
 
富士通のスキャンスナップix100という商品です。
 
これめちゃ使えるんですよ。
 
パソコンかiPadか(もっと言えばiPhoneでもいい)を立ち上げて、この機械に紙を食べさせるとWi-FiBluetoothで読み取った原稿をPDF化して送ってくれるんです。
 
しかもこいつ1分間に約8枚の紙を食えます。めちゃ食いしん坊です。
 
 
 
で、僕がどうやってこいつを使ってるかと言いますと、もらってきたプリントやらハンドアウトやらレジュメやら(違いはなんなんだろう)は絶対使わないって確信できるもの以外はとりあえず食べさせる。
 
そして送られてきた原稿に適当な名前をつけてevernoteにぶっこんでおく。(evernoteってのは簡単に言うといろんな形で構造的に貯めておけるメモ的なものです。めちゃ便利なのでぜひ使ってみてください)
 
それでおしまい。二度と見ない原稿もかなり入ってるでしょうけどそれでいいんです。
 
少なくとも実物の紙の方はこれで何の気兼ねもなく捨てられるんですから。
 
僕のevernote上にはどんどんいらない原稿が増えていくでしょうけど、部屋からは減っていく。
 
バーチャルなデータ上のメモ置き場の容量が増えていくのは一向に構わないですからね。
 
部屋は片付くし、evernoteの情報は充実するしでいいことづくしなんですよ。
 
 
 
ところが、です。この間大学の講義を聞いていてハッとする瞬間がありました。教授のこんな言葉がキッカケでした。
 
ウェーバーマルクスとある意味で対立していたが、彼らの死後見つかった大量のマルクスが書いたメモにはウェーバーとほぼ同じような主張が書かれていた」
 
マルクスが何を主張したかとか、ウェーバーが何を批判したかとかはどうでもいいんですけど。
 
僕がハッとしたのは残されたメモによって後年になってからわかったことがあるということ。
 
僕はいろいろな原稿をせっせとデータ化してるけど、果たして何十年何百年経った後、誰かこの原稿を読むことはできるんでしょうか。
 
例えばフロッピーとか。フロッピー知ってますか?
 
十年くらい前にはパソコンで読み込めましたけど、今や若い人は存在さえ知らない人が多いんじゃないでしょうか。
 
そう考えると、何百年経ったメモは読めるかもしれないけど、データにアクセスできる可能性は高くはない気がしませんか。
 
そして。もしもみんなが情報をデータ化するようになったら。情報が後世に伝わらないなんてことになりそうじゃないですか。
 
 
 
そんなことを考えてから、僕は原稿のデータ化が進まなくなってしまいました…。
 
なーんてのは言い訳で、いくら1分間に約8枚読み取れても、紙を読み込ませるという行為がメンドくさくなっただけだなんて口が裂けても言えないのです。
 
だってあのスキャナ2万くらいしたんですから…。
 
そんなんでいいわけ?