小学生の頃からぼんやりと自覚していた社会化したオタクとマニアの話
映画が好きです。
年に100本とかは観てないですが、人並み以上には映画館に行っていると思いますし、毎月公開されているメジャーな作品は勿論、所謂単館系とかミニシアター系とか呼ばれるような少しばかりマイナーな映画も抑えてると思います。
こんな趣味からも分かる通り、一人で遊べるタイプです。
一人ラーメンは勿論、一人カラオケ、一人居酒屋、一人焼肉なんでも行けます。
人から誘われればどっかに遊びにも行くし、友達となんかして遊ぶのも全然好きなんですけど、あんまり自分から誰かを誘うことってあまりないので、基本学校のない時間は一人で都心にいることが多い気がします。
映画だけじゃなくて、本も読むし、アメコミ好きだし、海外ドラマも好きだし、一人でぶらぶらするのも好きだし、最近はゲームするようにもなったし、基本多趣味で、一人で遊ぶのに困らないような人間です。マニアックだし、オタク気質ではあるなーって自分でも思います。
昔、小学校の時の担任が言ってた言葉で、今でもなんか忘れられない言葉があります。
「マニアとオタクの違いは、情熱を外に出すか内に秘めておくかの違いだ。マニアは自分の好きなことを積極的に外に発信するが、オタクは自分だけの世界で完結させるだけなんだ」
ものすごい数、ある種病的な量の本を持っていて、教室を自分の蔵書で溢れさせているような、それこそマニアックな変わった担任でした。
(小学生でも読めるようなファンタジー小説から大人が普通に読んでいるような小難しい本まで揃っていて、さながら図書室みたいな教室でした。今でも僕がいろんなタイプの本を漁っているのは彼の影響が大きかったのかもしれません)
件の言葉を聞いて当時は「はーんなるほどなあ」なんて思ったものですが、今思えば乱暴な表現だと思います笑
今になって冷静に考えれば「俺はオタクじゃなくてマニアなんだぞ」っていう担任の見栄というか、オタクと一緒にされて堪るかっていう自尊心だったような気もします。
あの頃に比べて「オタク」は一般化してきたのは事実だと思うんですが。
そんなことはどうでもいいので置いておきます笑
「オタク」と「マニア」の違いなんてどうだっていいです。
(気になる人のために、Twitterでの論争がNAVERでまとめられていたので貼っておきます。適当に見てください http://matome.naver.jp/odai/2139686932563508301 )
僕は言葉の定義よりも、「あーどうせマニアックな趣味を持つなら、外に発信するようにしよう」ってぼんやりと思いました。
だから映画を観て感想をTwitterに書いたり、あるいは自分なりの映画の見方をブログに書いたりしてるんですけど。
最近、映画を誰かと観に行くのって難しいなーって思うんです。
ものすごく気を遣いますよね、誰かと映画を観に行くのって。越えなくてはならない関門が多すぎると思うんですよ。
まず字幕か吹き替えか論争があるじゃないですか。
(最近は吹き替えもちゃんといてる映画も多いし、芸能人でも成功してる例なんかもありますけどね。あと字幕が戸田奈津子だったらどうするんだ問題っていうのもありますが、今回は目をつむっておきます)
映画観に行くとここで気を遣います。
次にどこに座るか問題っていうのもあるじゃないですか。
僕は映画館のスクリーンごとに座る位置を決めていて、例えばおっきいスクリーンやTOHOのスクリーンは後ろの真ん中。
角川シネマ渋谷とか札幌のシアターキノなんかのミニシアター系だと前の方。
立川シネマシティのe studioだと柵で仕切られてる前の島の一番後ろ。
というように。
人によって座りたい位置って違うと思うんですよね。
それからエンドロールで立つか立たないかとか、ケータイの電源ちゃんと切ってるかとか、パンフレット買わないかとか、そういう課題もあるじゃないですか!!
全然知らない人がね、予告編観てる時にケータイいじってたり、あるいは映画始まって3分くらいしてから入ってきたり、座高高いくせに後ろのこと考えずに姿勢良く座ってたりしたらただムカついて終わりますよね。
ええものすごいムカつきますよ?ムカつくけれども。
友達の場合はですよ、ブチ切れられない、けど注意せざるをえない……。
そうなると、ただその友達のことがキライになるだけだと思うんです。笑
せっかく映画の良さを友達にも発信しようとしているのに、映画が好きであるが故に、好きだから細かいことが気になって仕方がないが故に、友達のことをキライになってたら本末転倒の極みな訳です。
僕が自分のマニアック趣味を発信できるオタクになるには、まだまだ越えるべき関門が多そうです。