想像力が世界を救うかもしれない話
一橋大の男子学生が自殺しました。
同性愛者だった彼は、友達の男の子に告白するもフラれ、その友達が周りに同性愛者であることを言いふらしてしまい、自殺してしまったようです。
(Yahoo!ニュース http://news.yahoo.co.jp/pickup/6210085 )
ポケモンGOが流行っています。
ポケモンを追い求めて新宿2丁目に迷いこむ異性愛者(ノンケ)が増えてるらしいです。
「こんなブスなノンケなんて誰も相手にしない」と、同性愛者は言っています。
何が問題なのか。
想像力の欠如です。
自殺した男の子には、普通に女の子のことが好きな男の子が、同じ男の子から(しかも友達から)告白されたらどう感じるか、想像できなかった。(或いは想像できていても、その想いを止められなかった)
こう言うと「いや、同性愛者に理解のない社会がそもそも問題なんだ」と言う人がいるかもしれない。
果たしてそうでしょうか。
異性愛が一般的で、大多数を占める世の中で、どれだけ同性愛に理解のある社会になったとしても、同性から告白されたノンケは困惑するだろうし、ショックを受けるかもしれないし、気落ち悪いとさえ思うかもしれない。
でもそれは、そう感じてしまうことは差別なんでしょうか。
ノンケはどうやってもノンケだし、異性愛的な視点の考え方しか出来ない。
それは仕方ないことだと思うんです。
同性愛者の権利を守る。大事です。
でもだからと言って、ノンケがゲイに告白された時のノンケの気持ちを、想像することができなかったのかな、と思います。
ただ一方で、告白された男の子も、告白してきた男の子の気持ちをもう少し想像してあげられなかったのかなとも思います。
いずれにせよこれは差別とか、同性愛者の権利がとか、寛容な社会がとかそんな話じゃなくて、むしろ考え方が違う二人が、少しずつ相手のことを想像できればっていう話な気がするんです。
男と女は違うし、同性愛者と異性愛者は違う。
悲しいかな、このギャップはどうやっても埋まらないものです。
平等とかそんなものはまやかしです。だってどうしようもないんだもん。
でも、違う人のことを想像することは出来るし、そうすれば平等なんていう仰々しいものなんて必要ない気がするんです。
ポケモンGOの話もそうです。
ポケモンを追って2丁目に迷い込んだあのノンケたちは、「ゲイは男好きで、男なら誰でもいい」と思ってる。
だから自分が襲われたらどうしようと思う。
でも違います。
同性愛者も異性愛者と同じように好みがあります。
普通のノンケがブサイクな女の子を好きにならないのと同じように、
ゲイだってブサイクな男に恋愛感情や性的興奮は覚えません。
そんなことちょっと考えれば分かることなのに、「同性愛者は自分とは全く違う、宇宙人みたいなやつらだ」って思っているから、こんな馬鹿げたことを平気で言ってしまう。
想像力の欠如です。
全ては想像力の欠如が原因です。
野党が全然政権を取れないのも、
将軍様がミサイルを飛ばしてるのに何もできないのも、
ポケモンGOがあちこちから規制されそうなのも、
ベッキーがいつまで経っても復帰できなさそうなのも、
極楽とんぼ山本が今までずっとテレビに出れなかったのも、
実写化テラフォーマーズがこけたのも、
僕に彼女ができないのも、
ぜーんぶ想像力が足りてないからです。
だから明日から、ちょっとだけ想像力を豊かにしましょう。
横断歩道の白以外のところは溶岩だとか、
教室にテロリストが入ってきてもオレが回し蹴りを入れてやるんだとか、
今自分の考えていることは実は周りの奴らに聞こえてるんだとか、
そんな妄想をしていたあの頃の想像力を、ちょっとだけ取り戻しませんか。
おしまい。