核兵器を手土産に。の話
以前メガネ拭きを買うのが苦手だって話をしました。
何言ってんだこいつと思った人はこの記事へどうぞ。
あれに関連した話をします。
ミスドでドーナツ1、2個だけは買ってこれないっていう話です。
何言ってんだこいつと思った人はごめんなさい。
それだけの話なんです。
友達とミスドに入る時とかなら全然平気です、2個だけ買うの。
でも飲み会の帰りとか急にミスド食べたくなる時あるじゃないですか。
そういう時に2個だけとか買って持って帰るの無理なんですよね、僕。
なんでって聞かれるとすごく難しい。
たかがドーナツ2個だけ買うのがなんとなく恥ずかしいんですよね。
だから一人じゃ絶対一気に食いきれないのに5個とか6個とか買ってしまう。
何言ってんだこいつと思った人、あなたは正しいです。
自分でもどうかしてると思いますけどなんとなく無理。
同様にコンビニも無理。
おにぎり一個だけとか、グミ一袋だけとか、飲み物一本だけとか結構ハードル高い。
訳もなく色々買ってしまう。
要は見栄の問題だと思うんですよね。
ケチだと思われたくないというか、なんというか。
誰もケチだと思わないことなんて分かってるんですけど本当にどうしょもないんです。
誰かの家にお邪魔するときのお土産とかも色々考えちゃう。
手土産って超難しくないですか???
じゃあ例えば4人家族のお家にお呼ばれしたとしましょう。
セブンやらローソンで適当なスイーツを買って行くとして、まず4つ買って行くのはなしでしょ?家族分ぴったりってのもケチくさいし、向こうはぼくの分を必ず出してくれるでしょうからそうすると一個足りなくなります。
じゃあ僕の分一個足して5個はどうかというとそれもどうでしょう。
これが鎧塚俊彦のすげえケーキとかなら5個ぴったりでもいいでしょうが、今回持って行くのはコンビニのシュークリームよ?
なんかケチくさいとか思われないかな????
だからといって適当に6個とか7個とか買って行くのもどうかと思うんですよ。どっから出た数字なのそれってなるじゃないですか。
じゃあ人数の倍買って行く?
シュークリーム10個も買ってったら邪魔じゃないですか?????
邪魔ですよね絶対。
相手の家族と自分一人だけでもこんなに難しいのに、これが何人かでお邪魔するとなると事態はより厄介です。
お土産で持っていったものを食べるであろう人物が増えるんですから。
誰かのお宅に呼ばれる前の僕の頭はいつもこんな計算でいっぱいです。
でも手ブラで行くわけにも行かないから結局ずーっと「足りなかったかなあ」って思いながら行くんですね。
あ、手ブラっていうのはあれね手土産なしってことね。
おっぱいを手で隠しながらってわけじゃなくて。
人の目って怖いです。
自分の行動が人様にはどう映っているのか。
これは我々人類の永遠の課題でしょう。
「そんなこと気にするなんてどうかしてるよ、たけしん」
画面の前でそう呟く人もいるでしょう。
あるいは、ツイッターに実際に呟く人もいるかもしれない。
僕にしてみればあなたの方こそどうかしています。
家族で出かける前のお母さんはいつもギリギリまで部屋から出てきません。
お父さんが言います。「なあ母さんまだ出られないのか?!」
お母さんが返します。「パンツにしようかスカートにしようか迷ってるのよ!あのブーツならパンツの方がいいかしら?」
妹がぼやきます。「そんなに迷ったって誰も見ちゃいないんだから」
そこで僕は叫びたい。「いや、人はいつだって他人を見ているし、そういう問題じゃない!!要は見栄の問題なんだ!!」
そう、見栄の問題です。
さっき僕のことをどうかしてるっていったそこのあなた。
僕がどうかしてると思うなら服なんて着ずに、それこそ手ブラ(おっぱいを手で隠すことの意)でお呼ばれすればいいんです。
他人からどう見られるか気にしないならぜひやっていただきたい。
まあでも実際に手ブラで遊びに来るようなぶっ飛んだ友人なら手土産なんて期待せずに遊ぶけども。笑
手土産ついでにお土産についても一言だけ言っておくことにしましょう。
旅行のお土産ってめんどくさくないですか?
例えば福岡に行ってとおりもんを買って来てくれるとか、スリランカで紅茶を買って来てくれるとか、その土地独特のというか、興味惹かれる名産品なら分かるし、嬉しいですよ貰って。
でもさ、なんか適当などこにでも売ってるような、あとで小分けにして配れるようになってるチョコクッキーとか温泉まんじゅうとか貰って果たして心から喜べるでしょうか。
ミッキーの絵が入ってるだけのどうってことない煎餅が、果たして何か面白いでしょうか。
もうやめましょうお土産。
本当に特定の誰かのために選んだものなら素敵だと思うけど。
礼儀だから買って行くか程度のお土産なんてやめてしまいましょうよ。
家にお邪魔するときの手土産もなし。
ピエール・エルメ・パリのスイーツならともかく、コンビニのお菓子程度ならやめましょう。
余計な気を遣う必要などないのです。
というかそもそも気を遣ってお土産を買って行くような関係なら、そもそもお土産なんて買う必要がないでしょ。
みんなでやめましょう。
誰か一人でもこのお土産文化を続けてしまえば、誰もやめられません。
いうなれば核兵器と同じです。
全員が同じタイミングで一切の核兵器を処分するという確証がなければ誰も核兵器を手放すことなどできません。
なぜなら核兵器は既に存在してしまっているし、自分だけが処分するなんていう事態になれば不利になってしまうから。
同じです。
お土産という文化は既に存在してしまっているし、一人だけが勝手にお土産文化から離れてしまえば周りから白い目で見られることは請負です。
悲しいかな、人は見て、見られる社会的な猿です。
だからすぐにお土産を止めることなんてできないのもわかります。
でもお土産を放棄できない我々人類が、果たして核兵器のない平和な世界を作ることなどできるでしょうか。
できません。
核なき平和を夢見るのならば、まずはお土産の拡散を防ごうではありませんか。
それができないのならば、お土産を次々に送り込む戦争になりかねません。
相手を満足させ、自分の虚栄心を満たすことのできるお土産を人々は送り続けるでしょう。
そうなれば見栄っ張りな僕は、今まで以上に見栄を張ったお土産を準備するほかありません。
そしてお宅にお邪魔することにしましょう。
人数分の倍の、核兵器を手土産に。
おしまい。
ps 最近ぼくのブログに核兵器が登場する回数が多いのは突拍子もないイメージを作るのに、「核兵器」という言葉が手っ取り早いからです笑
そして、ぼくの主張は冗談であることも付け加えておきましょう。
北朝鮮が着々と開発しているのにこんなタイトルは不謹慎だと言われては困るし、ぼくが本当にお土産をもらえないようなことになるのはもっと困りますから。