主観と客観の狭間で本田翼さんのファンが苦しんだ話

もう2018年も終わろうとしていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 

僕って趣味がたくさんあるじゃないですか(唐突)。

 

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大学に入ってから増えた趣味も結構あって、例えばテレビゲームなんてのもその一つなんですね。

 

 

元々ゲームする子供じゃなかったんですよ。

 

PSPなんてものは持ってなかったし、だからモンスターハンター2ndGとかが流行った時も僕は話についていけませんでした。(今になって思うとよくハブられてなかったな)

 

そんな子供だったのが、なんでまたPS4を買い、新作から旧作までゲームを漁りまくるようになったのかと言うと、ゲーム実況っていうコンテンツが何年か前から台頭してきてるんですよ。

 

読んで字の如く、誰かがゲームをやりながら一人で(時には何人かで)実況してる様子を動画にするわけです。

 

僕はそのゲーム実況の動画を高校2年生くらいの頃から見始めたんですけど、ゲーム実況にハマったキッカケっていうのが今一部で炎上している兄者弟者ってひとたちだったんですよ。

 

誰だよそれ。わかります。

 

まだまだyoutubeを定期的に見ている人じゃないと分からないし興味もないと思うので簡単に説明しておこうと思うんですけど、実の兄弟+友達のおじさん1人の3人でゲーム実況の動画をあげている人達で、もともとはニコニコで活動してたんですが2010年にyoutubeに活動拠点を移し、2018年12月現在登録者数が230万を超える超大手のyoutuberなんですね。

 

というか日本で一番のゲーム実況者といっても全く過言ではないと思います。

 

 

 

じゃあなんでそんな人達が炎上してるのかっていうと、実は彼ら、一週間ほど前に本田翼さんとコラボしたんですよ。

 

そもそも本田翼さんはかなりゲームが好きらしく、youtubeでゲーム実況するチャンネルを開設して結構話題にもなりました。

 

まだ2本しか動画があがってないのにえらい騒がれようだったわけですが、記念すべき3回目のゲーム実況放送で、兄者弟者の3人とコラボし、それに端を発して炎上しちゃったという感じなんです。

 

ずっと兄者弟者の動画を見てる僕としては素直にすげーなーって思ってたんですけど、どうやらそうは思わない人もいたようで。

 

youtubeでは生放送中に、見ている人達が自由にコメントできるんですけど、最終的にはそのコメント覧で本田翼ファンと兄者弟者ファンの間で言い合いのような形になってしまってました。

 

そもそもの発端はなんだったのかというと、どうやら本田翼さんのファンが「誰だこのおっさん」とか「本田翼の喋りを聞きたいのに誰だかわからん人とコラボしてて不快」だとかそんなようなコメントをしたようなんですね。

 

最初はただ楽しんで見ていた兄者弟者ファンの視聴者もそれに応酬する形で結局炎上しちゃったってことのようです。

 

 

 

で、この炎上は誰が悪いのかだとか、youtubeにおけるコラボの難しさとか、そんなことはどうでもいいんですよ。

 

いや、実際言いたいこと分析したいことはたくさんあるんですけど、そういうのはyoutuberとかほかのブロガーとかが散々やってるので彼らに任せます。

 

僕が一番気になったことは別にあります。

 

Twitterとか見てると今回の炎上について色々と言ってる人たくさんいるんですけど、その中で本田翼さんのファンが「本田翼とゲームをしてる感覚を味わってたのに、そこに知らない男がズカズカ踏み込んできた気分」ってつぶやいてるのを見たんですね。

 

あ、そういうもんか、ってすごいびっくりして。

 

本田翼とゲームしてる感覚ですよ、これって僕がきっと感じたことのない感覚なんですよ。

 

確かにゲーム実況って兄弟とか友達がゲームやってるのを隣で見てる感覚的なものはあります。

 

でも一緒に(二人で?)ゲームをしてる感覚を求めたことは僕はなかった。

 

「知らない男がズカズカと踏み込んできた」って言うくらいだから、件のつぶやきをした人にとって本田翼さんの実況動画って彼女と同じ空間を擬似的に共有できるものだったはずなんですよ。

 

同じようなことを分析してるyoutuberもいて、彼は「コラボ動画ではコラボ相手とのコミュニケーションに集中して視聴者との対話が疎かになりがち」っていう風に言っていてなるほどな、と思ったんですけど、そもそも僕はyoutubeの動画を実況者と対話してる気持ちで見てないから全然わからない概念だなーって思っていて。

 

 

 

これってなにかを主観的に見るか、客観的に見るかっていう問題な気がするんですよ。

 

例えば映画のネタバレ問題ってあるじゃないですか。

 

僕は実はネタバレもあんまり気にならないタイプなんですよ。

 

昔はすごいネタバレが嫌いだったのに、最近あんまり気にしなくなってきていて、進撃の巨人系の伏線謎が楽しいマンガとか、毎回フックがある海外ドラマとかはさすがにネタバレされない方がいいですけど、普通の映画とかならある程度ネタバレされても楽しめちゃう。

 

この間友達と喋ってたんですけど、これは物事をどう見るかということに関係していて、そしてそれはなおかつオタク(特にサブカルとか斜に構えてる系の)であるかということとも密接に関わっているのではないかという仮説がそこでたてられたのです。

 

どういうことか。

 

基本僕ってサブカル系のオタクじゃないですか。

 

映画のブログやってたりすることからも分かる通り、作品とかを批評的な視点で見がち(意識高いフレーズ)なんですよ。

 

批評的ということはすなわち俯瞰客観、はなれたところから作品自体を眺めるみたいな見方が多いと思うんですよね。

 

だから、正直感情移入とかようわからんのですよ。

 

ごめんなさいちょっと盛りました。

 

感情移入はします。

 

でも、僕はあくまでもその時々場面場面で感情移入するキャラクターが変わっていく。

 

特定多数に憑依し換えながら見てる感じなんですよ。

 

これはつまりどういうことかというと逆に言えば、ネタバレを嫌う一般大衆その他大勢(嫌味な言い方)は特定の一人(そしてそれは多分主人公級)に最初から最後まで感情移入し続けて見ているということではないかと思うのです。

 

 

で、ですよ。もうちょっと話を膨らませるなら。

 

そういう風に映画とかを見る人って多分アイドルとか好きなんですよ(偏見に満ちた意見)。

 

僕アイドルが好きな人って本当に理解できないんですよね(センセーショナルな物言い)。

 

アイドルを応援したり好きになったりってきっとものすごく主観的な行為だと思うんですよ。

 

しかもその主観的視点はどこにあるのかというと、アイドルの視点に憑依しているのではなく、

 

バーチャルな自分の視点に憑依し、アイドルとの空間を擬似的に作り出しているのではないか

 

と思うわけです。

 

で、この話が一体どこに着地するのかというと、冒頭でずっと話していた本田翼さんファンの視点問題に行き着くわけです。

 

なんて見事なストーリーテリングなんだ。

 

すなわち、

 

本田翼のファンは映画を主観的に感情移入してみるタイプであり、アイドルオタクで、自分本位なやべーおっさんである。

 

Q.E.D.

 

くだらんことでギャーギャー騒ぐのやめようぜ!おっさん!!!!(まごうことなき暴言)

 

今年の締めがこんな記事でいいのか、僕。

 

まあいっか。来年がんばろ。

 

ということで来年もよろしくお願いします。

 

良いお年をお迎えください。

 

おしまい。

 

 

 

追記(a.k.a言い訳)

一応オチをつけるためにセンセーショナルな偏見を待ち散らかしましたけど、別にアイドルファン的な見方が悪いと言ってるわけではなく、誰か一人に感情移入したり、バーチャルな空間で本田翼と触れ合ったりっていうのはすごく文化的で崇高な行為だと思うんですよ。

 

だし、そういうものの見方が苦手な僕はちょっぴり羨ましかったりもする。

 

ただ、それがすごくオープンな空間で発露した時に、時に重大なコミュニケーションのすれ違いを起こすこともあるのではないかという、とても慧眼な(自画自賛)問題提起なのですこれは。

 

ドルオタバカにすんなよな!とか言われてもごめんなさいとしか言えません。ごめんなさい!!