遅れてきた青春と、舐り回したい過去の話
※今日の話はいつも以上に性格の悪い僕の魂の発露が現れちゃってます。不快になったらごめんなさい。
あけましておめでとうございます。
いやあ明けましたね。
だいたい明けるんですよねえ。
ところでみなさんお年玉もらいました?
これは紛れもなく自慢なんですけど、僕はもらいました。
22歳にもなってまだお年玉をもらっていることを公言して憚らないことは恥ずべきことだと思う向きもあるでしょうが、
如何せん貰えるものは貰っておかないと仕方がない。
来年以降あげる側にならなければならないのであれば尚のことです。
それでも許せんという人はお年玉を貰っていない人だけ僕に石を投げればよろしい。
甘んじて受けます。
そんな話はどうでもいいんですけど、今年は成人された皆々様でも堂々とお年玉を貰える機会があったらしいじゃないですか。
しかも100万円。
何の話かって?
ZOZOTOWN新春セールが史上最速で取扱高100億円を先ほど突破!!日頃の感謝を込め、僕個人から100名様に100万円【総額1億円のお年玉】を現金でプレゼントします。応募方法は、僕をフォローいただいた上、このツイートをRTするだけ。受付は1/7まで。当選者には僕から直接DMします! #月に行くならお年玉 pic.twitter.com/cKQfPPbOI3
— Yusaku Maezawa (MZ) 前澤友作 (@yousuck2020) 2019年1月5日
リツイートしただけで100万円貰えるらしいんですよ。
すごいですよね大金持って。
案の定僕のTwitterのタイムラインでは大量のリプライとリツイートが垂れ流されていたわけですが、何日か経つとZOZO社長の二番煎じ三番煎じよろしく100人に10万だのなんだのってツマンネエ後追いとフォロワー稼ぎのクソアカウントが新たな企画を始め、それをさらにリツイートするネットリテラシーの低い奴らが溢れかえるという新年早々地獄絵図のような有様だったわけですよ。(大変に口が悪い)
で、まあそれはいいんですよ。
なんか?夢とかあるし?(必要以上にトゲのある言い方)
というか今回の企画とかに関わらず、前々からZOZO社長のTwitter、僕は
なんかイテエなこの人
と思いながら見てた斜に構えた(a.k.a.冷めたa.k.a.ツマンナイ)タイプの人間なんですよ。
これは22歳を過ぎてもお年玉をすでに貰っているため100万円なんか屁でもない僕だからこそ言えることなのでみなさんは真似しないで欲しいんですけど!!
こっからは僕の偏見にまみれた憶測(という名の悪口)ですが、
なんか、昔はすごい地味な人だったんだろうな感ありません?
もっと言うと、
今になってTwitterではしゃいじゃってる感。
これ以上ない言われたくない言葉。
ごめんなさいZOZO社長。
でも僕は攻撃に手を緩めない。
何故なら僕は、すでにお年玉を貰っているから。
僕もね、割とTwitterではしゃいじゃってる側の人間だからあんまり人のこと言えないんですけど。
でも、でもすごい、
遅れてきた青春を楽しんでる感がキツイ。
なんか若い社長なんだろうなーっていうイメージもあったんです僕の中で。
でも調べてみたら43歳なんですよ。
おふ……。
なんかあの独特なオレは無敵だ感。すごいキラキラ意識高いことしてる感。
ああ…みたことあるあの感じ…。
ってなるんですよ。
オレは多分、もうすでにその瞬間を経験してる……っていう感じ。
こういうのって結構他にもあって、例えば僕の昔のバイト先の先輩。
いい人なんですよ。とてもいい人だった。
ほんと悪気はなく、語弊のある言い方をします。
でも多分彼は大学に行っておらず、高校の時にキラキラした青春を過ごしてはいなかったと思う。
そして、その青春を、どこかで取り戻したがっていたような気が、僕はしていた。
だからなのか彼は僕を含めたバイトの後輩と、休みの日に遊びたがった。
映画に誘われたし、買い物にも誘われた。面白い漫画があれば貸してくれたし、だから僕もお返しに貸してみたりした。出勤すると手紙のようなメモをまめに残してくれていた。
そして僕はその度に、
ああ……こういうの、僕はもうすでに十分やったんだよな
ってどこかで思っていた。
嫌な奴だと思われるかもしれない。確かに僕は嫌な奴だと思う。
僕はありがたいことに、中学も高校も、とても楽しくやってこられた(と自分では思っている)。
いじめられたことなんてなかったし、何ならとてつもなく地味な顔なのに、仲良い人はいつもクラスや学校の中心にいるような人たちばかりだった。
断っておくけれど、クラスの中心にいればいいという話でもないのはわかっている。
けれど僕の青春は、とてもキラキラしていたと自分でも思う。
だからなのか、僕の大学生活はとても控えめなものだったと思う。
これもありがたいことに、大学でもとても素敵な友達と、先輩後輩に出会っている。
でもそれは中高と比べれば明らかに、控えめで、ごく少数であり、何か達観した付き合いのようなものだった気がする。
(そしてだからこそ、中心にいることだけがキラキラしているわけではないことも知っている)
そして正直に言おう。
大学でキラキラと馬鹿騒ぎの青春を送っている人たちを見ては、
ああ、高校の時にあのキラキラを経験しなかったのかこの人たちは
と思っている自分がいた。
わかっている。僕は本当に嫌な奴だ。
でも、とも思う。
世の中には一度しか楽しめないものというのは存在している。
例えば何か仕掛けのある映画を見る時、最初の一度は騙されたりして楽しめる。
もちろん優れた映画であれば、仕掛けを知った上で何度も楽しめるんだろう。
でも、何も知らないまっさらな状態での経験は二度と帰ってこない。
そういう時、人は言う。
「ああ羨ましい」
「僕ももう一度、何も知らない状態で経験したいよ」
などと。
これは、僕の感覚は、そういうことと似通っているような気がするんです。
一度経験した最高の思い出は、それとただ似通っているだけでは満足できないのだ。
そしてそれを超える経験などというものはほとんどない。
僕は今でも、高校の友達と集まると必ず、
「高校時代が一番楽しかった。これを超える経験って多分ないよな」
と言っては、過去を貪り懐かしんでいる。
不健全な営みだとは思う。
しかしそうしないとやっていけない。
あれを超える楽しさなんてきっとないことは薄々気づいているし、そしてそれこそが老化なのだとも思っている。
そして何よりも、
あんな丸裸なキラキラは、
若い時の、何の恥ずかしさもない時でないとやっておけないことでもあるはずなのだ。
だから僕は、自分よりも遅く青春を、キラキラを、やっている人たちを見るたびに、どこか恥ずかしく思い、そして何よりも彼らを羨むことしかできないのだ。
ああ……僕はもうすでにそれを知ってるんだよな。はつまり、
もう僕には経験できないんだよな
という羨望でもある。
と思っています。
多分、これからも僕は高校時代の思い出を少しずつ齧り、その味を口の中で何度も何度も確かめると思うんです。
そして多分同じようなことを思っている同級生は少なからずいると思っているんです。
それくらいあの時間は楽しかったから。
そして高校生のように青春を謳歌する大学生や社長を、なんとなく距離をとって見てしまうのもやめられないとは思う。
ただ分かって欲しいのは、僕は彼らをバカにしているわけではないということなのですよ。
むしろ彼らをどこか悟ったようにしか見られない自分が、ちょっぴり寂しく、でも幸せでもあるんじゃないかという不思議な感覚。
そういうことってあるじゃないですかっていう話なんです。
おしまい。
追記
前澤さんのことをアパ社長みたいに呼ぶのどうでしたか?