人が人であるために:書くということの話

いよいよ3月も終わり、明日からまた新しい年度が始まろうとしていますが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

 

明日のお昼には新たな元号が公布されるらしいですが、僕はそれどころではありません。

 

始まるのです。仕事が。

 

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世の多くの人々にとってそれはごくごく当たり前なのでしょう、働くということは。

 

そう、働くというのはそういうもののはずです。

 

大体の人は高校か大学を卒業して、そこから定年までの40年くらい、長い人であればもっと、働くことになります。

 

そうして既に職を持ち、日々働いている人にとっては働くということは当たり前のことなんでしょう。

 

ところがどっこい、人生最後にして最大のモラトリアムにどっぷり浸かっている僕にとって仕事とは、社会復帰といっても過言ではなく、とても大げさなものなのです。

 

 

 

 

僕の父は公務員で、僕の母も元公務員でした。

 

そんな家庭なのでウチは割と堅実な家で、決して厳しいとかではなく、ただただ真っ当なそんな家でした。(そしてそれがどんなに恵まれているかも僕は分かっているつもりです)

 

だから将来は、僕も公務員になるんだろうなとぼんやり思っていました。

 

というかそれ以外の人生は想像もつかなかったんだと思います。

 

とにかく、大学3年の秋の時点では、僕は公務員試験の勉強をしていました。

 

 

 

ところが、冬。僕はふと思いました。

 

これから先、ずっと仕事をして生きていくんだと怖くなりました。

 

繰り返される日常、仕事。

 

自分が今まで生きてきた倍以上の時間を費やす仕事が、なんとなくの公務員で本当にいいのか。

 

良くない。

 

良いわけがない。

 

どうせやるなら、自分の好きなことを、好きだと思えることを仕事にしよう。

 

そう思いました。

 

そんなわけで、僕は明日から出版社で働き始めます。

 

 

 

何故、出版社なのか。

 

全てがデジタル化されていく現代、出版社に未来はあるのか。

 

よく聞かれます。

 

というか就職の面接では鉄板の質問でした。

 

何故、今、出版社なのか。

 

その度に僕は、気の遠くなるような話をしていました。

 

 

 

気の遠くなる話をします。

 

人を、人たらしめているものとはなんなのでしょう。

 

人が、ヒトではなく人であることの理由はどこにあるんでしょう。

 

例えばパスカルは「人間は考える葦である」と言いました。

 

人間は自然の中でとてもか弱い存在であるが、「考える」ことができるという点で宇宙よりも偉大だというのです。

 

ではこれが答えでしょうか。

 

僕はこれは正確ではないと思います。

 

今これを書いている僕の隣を歩いている鳩。

 

あいつもきっと考えています。

 

3歩あるけば忘れるトリ頭かもしれませんが、鳩に限らず多くの生物は考えるでしょう、少なくとも何かは。

 

重要なのはその思考の複雑性です。

 

何故、人間は他の動物よりも高度で、複雑で、抽象的な思考ができるのかということが問題なのです。

 

 

 

では答えは「コミュニケイション」でしょうか。

 

人間は言語を操ります。

 

言語を操るということは他者とコミュニケイションが取れるということです。

 

そしてそれは、これまで自己完結的だった思考が、世界が広がるということを意味します。

 

社会性を持つと言い換えることもできるでしょう。

 

しかしこの答えも物足りないような気がします。

 

確かに話すことが社会性をもたらし、高度な思考につながっているのは間違いないでしょう。

 

しかし一方で話す、コミュニケイトするのは人間だけではありません。

 

イルカは超音波を使って獲物を見つけたり、仲間と会話をします。

 

カラスは鳴き声で仲間と連携を取り、しかもその鳴き声には地域によって変わる方言のようなものもあると言われています(マスターキートンで得た知識)。

 

イルカもカラスも賢い動物として知られているので、会話ができるということが発達した知能と関わりがあるのは間違いないですが、これも人間特有ではなさそうです。

 

 

 

では、人を人たらしめているものはなんなのか。

 

僕は「文字を書くこと」だと思っています。

 

文字を持たなかった頃の人類にとってコミュニケイションは(多分)その場限りのものでしかなく、何かを誰かに(隣にいる人にせよ後世の人にせよ)伝えるには口伝しかありませんでした。

 

しかし文字は違います。

 

文字は形に残り、場所も、時代も、性別も、時には人種や国境も超えられます。

 

例えば僕はこの文章の下書きを、新宿のカフェテラスで、夕方に、手書きでメモしました。

 

そしてそれを、自宅のソファで、夜に、タイプしています。

 

ほらね、簡単に時と場所を超えられた。

 

もちろん書いたものが失われてしまえば(例えば下書きしたメモを紛失したり)それまでですが、それでもこれは口頭での伝達とは大違いです。情報の量自体が大きくなり、しかも考えたことをより正確に蓄積していくことができるからです。

 

 

 

そう、人を人たらしめているのはこの部分だと思うのです。

 

そしてその事実は活版印刷術というアップデートを経てから今日までも、基本的に変わらない、とても普遍的な営みだと思います。

 

ということはつまり、本を形にする出版社は人間の思考を形にする、とても根源的な意味のある仕事だと思い、だからこそ僕は出版社で働きたいと強く思ったのです。

 

 

 

とはいえ、本が、漫画が、雑誌が、売れなくなってきているのもまた事実です。

 

そしてその中で、モラトリアムを謳歌しすぎた僕にとって、きっと仕事がいやになったり、投げ出したくなったりする日もいつか来ると思うのです。

 

だから僕は今日これを書きます。

 

仕事を始めた時の自分の思いを、いつでも思い出せるように。

 

今の思いが時や時間や嫌な気持ちも全て超越して、いつかの自分に届くように。

 

文字にはそんな力があると思っているから。

 

おしまい