例えばブタが飛べたとして、それはすでにブタではないのでは?の話

また年度が変わり、新生活が始まった方も多いと思いますが皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

前回、「オープンワールドについて考えようと思ったら小島秀夫と『デス・ストランディング』のすごさを再確認した話 ゲームの自由度とオープンワールドの現在・序」という話を書いてからまた随分と時間が経ってしましました。

 

takeshin619.hatenablog.com

 

最後に「序」とついていることからも分かる通り、僕の中ではこの後の「破」「Q」の、なんなら「シン」の構想まであるのですが、なかなか文字のするのがめんどいメンタルの期間が続いていてまだ何も手をつけていません。

 

そんな中なんですが、今回はまた別の話を書こうと思っております。

 

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渡辺直美と”オリンピッグ”の件についてです。

 

 

まあね、分かりますよ。今更感がすごいですよね。

 

確か最初に文春がスクープを打った頃、家の前の桜は綺麗なピンクだったと思うのですが、これを書いている今は葉桜が青々としています。

 

桜の見頃はあっという間とはいえ、取り上げるにしても時間が経ちすぎ、またこの問題に対するご意見なんかも一通り語り尽くされたあとだと思うのですが、まあ聞いてくださいよ。

 

本題に入る前に念の為一連の流れの共有を。

 

五輪開会式の演出を指揮する「総合統括」を務める、電通の佐々木宏氏がプロジェクトチーム内のグループLINEで「渡辺直美にブタの格好をさせ”オリンピッグ”」なる案を出していたことが判明して批判された、というのが大枠です。

 

詳細は文春オンラインの記事を読んでください。

 

bunshun.jp

 

Twitterのタイムラインでもかなり話題になっており僕も有料記事を購入して全文読んでしまったのですが、読んでみると件の表現の是非というセンセーショナルな部分はどちらかというと枕で、後半に続くプロジェクト進行の杜撰さ・私物化という構造の問題を指摘する部分が本当に面白く、この記事の作り方はさすが文春だなあと思いましたです。(町山智浩のような語尾)

 

で、ですね、この問題はその後「女性蔑視・差別的」ということで大変に炎上する訳です。

 

なんですけどこの炎上って燃え方の方向性にもいくつかあると思うんです。全部まとめて「差別的」ということになってますが、そんな簡単な話でもないと思うんですね。

 

批判の方向性その1。「見た目を揶揄するような安易な笑い」というところに対する批判、いわゆるルッキズムとか言ったりするらしいですね。誰かの容姿について馬鹿にしたりするような言説というのは(元々下品ではあるんですが)段々と認められない風潮になってきてますよね。

 

批判の方向性その2。「女性に対しての扱い方がひどい」というところに対する批判、まあいわゆる「女性差別的」という言い方はここに依拠してる部分が大きいような気がしますよね。

 

批判の方向性その3。「人を動物に例えること」に対する批判。今回の場合は「ブタ」に例えたことも尾を引いていると思うんです明らかに。まあブタさんに失礼なのかもしれませんが「ブタ」というのは得てして馬鹿にした例えなのでね。ブタさんは悪くないのに。

 

そういえばはるか昔、動物とその名前について書いたことがことがありました。随分尖った始まりですが、今の僕より短い文章でまとめていて偉いです。こちらもあわせてどうぞ。

 

takeshin619.hatenablog.com

 

まああと最後にその4として、そもそもくそツマラナイ、恥ずかしいレベルだという批判もありうべしでしょう。

 

大体この4つくらいの切り口だと思うんです。(何かもっと別の切り口に気がついてなかったらごめんなさい僕は無思慮でそういった意識に欠けた人間です存分に石を投げるとよろしい)

 

 

 

と、このように整理して思ったんですがこれって「差別的」な問題なのでしょうか。

 

確かに、太った女性をブタに例えてさらに五輪とかけて”オリンピッグ”だ!!みたいなこと言われても普通に面白くないし、なんなら不愉快だし下品だし、全然良くないと思うんですよ。

 

ただこれは「差別」の問題なのかしら、と思っちゃったわけです。

 

例えば前述のその3とか4とかって「差別」ではないじゃないですか。(もちろん動物に例えることが差別的になる場合もあると思うんですが、差別かどうかの話は後述)

 

で2についても僕ただ「女性に対して失礼なことを言う」ことは「女性差別」では必ずしもないと思うんですよ。それって単純に「失礼」じゃないですか。

 

じゃあ差別って何かって話になっていくと思うんですけど、「その人の固有で変更不可能な特徴について揶揄したり否定したりすること」みたいな風に思ってるんです。

 

そういう意味で言えば その1の容姿を揶揄すること、というのはなかなか簡単に変えられるようなものでもないですし確かに「ルッキズム」「容姿差別的」だと言えるのかもしれないですよね。

 

ただ「女性差別」かと言われるとそれはどうなんだろう……みたいなことを思ってしまうのです。

 

分かります。「お前は男だから、女性が普段同じように心ない言葉をかけられる気持ちが分からんのだ」という批判も。それに対して「それこそ性差別的では」などと言う気もないですし、女性に対して息を吐くように傷つけるようなことも言えてしまう社会構造の問題なのだと言われてしまえば「はあそうですよね」としか言えませんよ。(言いませんし、そうとは思いませんけどね僕は)

 

 

 

この間 、友達数人と飲んでたんですわ。

 

※あ、緊急事態宣言解除されてます。昼間です。ディスタンスや飛沫には十分に注意し、長時間にならないよう配慮して飲んでいます。

 

なんですかこのクソでか注意文。めんどくさい世の中ですね。最低ですね。(この先僕はブログで飲んでただのどこかで遊んだだの書くと思いますが、イチイチ注釈つけるのも面倒なので二度とつけません。みなさまの頭の中で適当に「※三密は回避して」とかつけて補完してくれ、僕は本当に疲れているんだこの風潮に)

 

でまあ、その席にいた男の子が髪の色を明るく、パーマをかけてなんだか小洒落ていたんですね。僕は彼のことを別にそもそも見た目が悪いとは思っていない(確かに写真は盛れすぎだと思いますけど)んですけど、周りの子達はそうでもないようで過去にちょっぴり見た目をイジられるみたいなのも見たこともあります。

 

そんな彼が垢抜けて登場したので当然、みんな褒めるんですね。

 

で、こういう時の矛先というのは大体僕に来ます。僕は容姿がよろしくないですし、その自覚もあるので自分でもネタにします。それを逃げだとか、保険だとか、適応機制だとか呼びたいのであればご自由にどうぞ。僕もそう思います。

 

で、みんな好きなように言うんですよ。「メガネ外して前髪あげると意外といい」だとか「くちびるの色が悪くて不健康そうに見えるから色付きの何を」とか。断っておきますが僕も自分でネタにするくらいなので別に嫌な気持ちになったりはしてません。ただそういうもんです。

  

以前別のエントリーでも書きましたが、一応マッシュ丸めがねというのは僕なりの生存戦略でもあるのです。顔面にコンプレックスのある僕なりの、生きていく手段的なところがあります。

 

takeshin619.hatenablog.com

 

まあとはいえ同世代からの受けがいいかと言われるとそうでもないので、最近はたまあにおでこ出してみたり、BBクリームでも塗ってみようかしらとか思ったりそんなレベルで色々してるんですど。

 

でね、そんな流れで別の年下の女の子に言われたのですよ。

 

「でもアタシ、自分に自信のある人の方が好きですよ」

 

デモってなんだよ。国会前かよ。

 

言われて思ったんですけど、これってすごいずるい言葉なんじゃないかしら。

 

自信というのはですよ、ぺんぺん草も生えてないような荒地から急に魔法のように湧き出てきたりしないんですよ。結局なんらかのアドバンテージや能力やらというのが先にあって生まれる類のものなので、これって単純にそういうものがある方がいいわあっていう話にしかなってないんじゃいかと思うんです。

 

或いはこれを能力やアドバンテージなどなくとも汝自身を愛せよ、前向いて行こうぜポジティブ!みたいな話なのだとしたら、それもものすごい残酷ですよね。持たざる者というのは自身を愛することが難しいはずなのですよ、持たざる者であるが故に。

 

もしくは話の流れとして「あいつは髪色や髪型を変えて良くなったのだ、てめえもやれ」という意味だったとすれば、それを容姿の整った年下に言われるとやっぱりなんかイラッとするんですよね。

 

とはいえ彼女の容姿が良いというのは僕が言っているだけで、彼女自身の自己評価は分からないじゃないですか。「お前はマイノリティではないから我らの気持ちなど分かるまい」と言った相手が同性愛者であるかどうか分かりようがないのと同じように、「お前は可愛いから良いよな」という言説がとても危険であることは分かっています。

 

だからこれは単純に僕の心が狭いのかもしれない、そうなのでしょうか。

 

 

 

先日日経の記事で「無自覚の「テクハラ」、部下でも加害者に」という記事が流れてきました。

 

www.nikkei.com

 

またくだらないこと言い始めたなあと思ったのですが、検索してみるとこの「テクハラ」なる造語、遅くとも2013年には既に使われていた形跡があります。

 

jinjibu.jp

 

僕からするとデジタル化の流れにもついていこうとしないのを棚にあげ、何をフザケたことを言ってるんだろうと思うんですけどね。むしろそういったデジタル志向の高い人を意識高い系とか呼んでみたりして、革新を阻害する守旧な人々は「アナログ・ハラスメント」と呼ばないのかなと思ったりもするわけですがまあそれはいいや。

 

そもそも色んなことを、とかく「ハラスメント」と呼びすぎですよ。

 

上に貼った日経の記事は

 

「先輩、会議用のZoom設定くらい1人でできないんですか。こんな簡単な操作で手間取って、よくこれまで仕事してきましたね」

 

デジタルネーティブ世代の新入社員にとって、こんな嫌みを言いたくなる場面もあるだろう

 

という文章から始まってますけど、こんなのテクハラとかいう言葉でタグ付けする必要あります?単純に無礼か、或いは下からのパワハラですよ。

 

こんなことはパワハラやセクハラなどそもそもの問題を稀釈してしまうだけなんじゃないでしょうか。

 

様々なものを細かくハラスメントであるとカテゴライズして、その種類が無限に増大していくことにより問題意識や、何が問題なのかという意識がどんどんと薄れていく。

 

最初に書いた「差別」でも同じことが起きていると思います。

 

何かを簡単に「差別」や「ハラスメント」という言葉に押し込めるということのまずさってあると思うんですよ。それで良いんですかね。