気持ちで社会を叩いてみれば、世界の終わりの音がする話

世の中はコロナコロナで大変なことになっておりますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 

正直、色々なことに気が滅入っていてブログを放置していたんですが、いつもお世話になっているとある書店の店長さんから仕事のメールの最後に

 

「たけしんさんはぜひこの機会にブログをいっぱい書くとよいと思います」

 

という一文が添えられており、そんな言葉に背中を押されていっちょ書いてみっかと思ったわけです。単純です。

 

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僕が最近、気が滅入っていることの原因はいくつかあるのですが、やはり主な理由はコロナです。新コロです。

 

(どうでもいいですが、ライムスターの宇多丸さんが自身のラジオ「アフターシックスジャンクション」で新型コロナウイルスのことを新コロ新コロと略しているのがツボです)

 

コロナウイルスそのものにというよりは、それが蔓延した世界と、それに反応している世間に対して疲れているのだと思います。

 

テレビはあるもののもっぱらゲームと映画用になっている僕は、得る情報のほとんどがネットメディアやSNSになっています。(若者特有のテレビ見てないんです自慢です)

 

小学校高学年の頃から2chとかを見ていた僕にとって(ネットde真実世代)インターネッツで色んな情報や意見を見ることは慣れっこのはずなのですが、正直ネットを見ていてこんなにも疲れた気分になるのは初めてです。

 

最近の雰囲気を東日本大震災の頃と似ているという人も多く、それには僕も同意しますが、あの時もここまで気が落ちたりしなかったなあと思います。

 

何にそんなに気が滅入っているのかな、と思って考えてみると、どうやら大きくみっつくらいのことに大別できる気がしたので今日はそのことを書きます。(前半は結構政治的なんですが、そうじゃないことも入れていくのでアレルギー起こさず読んでくれると嬉しいです)

 

 

 

ひとつ目はまさにネットde真実世代のど真ん中、ネット保守・ネット右翼です。

 

こんなところでやおら表明することでもないんですが、僕は割と保守的な人間だと思っていました。(最近はどんどんリベラル化していってるなあとも思いますが)

 

なのでネットの海で吠えている彼らに対しても割と寛容的な気持ちで見てたりしたんですが、最近の彼らの強権発動を求める言い草に辟易しています。

 

2chやらTwitterを見ていると、彼らは日々、やれ緊急事態宣言の発令が遅いだの、PCR検査が少ないだのと言っています。

 

そして海外旅行から帰国した女子大生に罵声を浴びせ、少しでも外を出歩いているようなつぶやきをしようものなら売国奴扱いです。

 

端的に言って異常です。

 

 

もっと頭が痛いのはふたつ目の、これらに対する言説にリベラルを気取っている人々まで群がっているところです。

 

憲法に緊急事態条項を盛り込むことに反対の大合唱をし、自由や表現の自由の味方を気取ったリベラル諸氏が、政府の対応は遅い、なんでもっと早く緊急事態宣言を出さないのかと憤っている。

 

平時に主張していたお題目を簡単に手放してしまったその光景に僕は頭を抱えています。

 

彼らが賞賛する韓国や台湾の対応は、国民の監視とセットで行われたものです。

 

僕は各国の対応の是非については自由にすればよいと思います。人々の権利や自由と引き換えにしてでも強権的な対応をすれば良いと、その国が判断したのなら結構です。(そしてそういう判断が必要な局面というのは確かに存在するでしょう)

 

平時の論理でいけば、そういう緊急的な事態に陥ると中央に権限が集中し始め、独裁や政治の暴走が始まるのこともあるので十分に注意しましょうねというのが政治学的なセオリーでした。(そして特にリベラル陣営の唱える大事な柱でもあったはずです)

 

しかしながら今世界各国が取り始めている国の封鎖や、外出禁止や、国民の監視などの強権的な政策は、緊急事態だから仕方ないよねの声とともになし崩し的に実行されていっています。

 

しかもこと日本においては、その声は国民の側からむしろ積極的に発せられ、政府はそれに押し切られた形です。

 

こんな大げさなことをあまり言いたくないんですが、普段ヒットラーの台頭がとかって言っている人たちは、今この現状をどう見てるんでしょうね。国民の要請に応えて芸大落ちのチョビヒゲおじさんが暴走したっていう歴史的事実はどこに言っちゃったんでしょう。

 

で、みっつ目はそんな国民の空気を巧みに政治的に利用している政治家です。

 

あんまり実名を挙げて政治家のこと色々言いたくもないんですが、いるじゃないですか。いっぱい。

 

この空気を利用してる人。

 

この空気の中だと、強権的な政策を実行すると「なんかやってる感」が出てお得なんですよ。

 

なぜなら科学的なデータを検証した政策を実行することには時間がかかるからです。

 

それよりも国民や市民の声に応えて、正しいか誤っているか分からない政策を実行した方が圧倒的に簡単ですもん。

 

そこに「密です」だの「ソーシャルディスタンス」だのキャッチーな言葉をまぶしたり、「若手の政治家」とか「あそこのパチンコ店は休業してません」とかっていう大衆の心をぐっと掴む言葉でコーティングしたりすれば完璧です。

 

こういうのこそパフォーマンスっていうんじゃなかったんでしたっけ。あるいは扇動と呼ぶのでは?

 

 

 

最近、こんなご時世なので僕の会社でもテレワークの必要性が急に叫ばれています。(今更感がありますが多くの企業もこんなもんでしょう)

 

まあテレワーク・リモートワーク体制が整うのは良いことですし、シン・ゴジラでもあったように「日本というのは外圧で変わる国」なので、僕もこの機を逃さず部署の体制を構築しようと躍起になっているんですが。

 

やってみて分かるんですが本当にいろんな障害が立ちはだかるんですよ。

 

会社全体の意思統一を図るのには時間がかかるし、システムを導入しようとすると様々な多部署と連携しなきゃいけない。セクショナリズムもある。自分の部署でも新たな環境に移行するのを面倒臭がる人がいる。

 

みんな、様々な立場で様々な正論を持っているわけです。

 

そうしていると、最初に目指していた100点満点のゴールからどんどんかけ離れた、40点くらいのショボい結果に着地しそうで、僕は今とても悔しい思いをしています。

「この一歩は小さいが、人類にとっては大きな一歩である」

 

人類で初めて月に降り立ったニール・アームストロングの言葉です。彼の言葉を思い出して自分を慰めてはいますが、彼はいいですよ、月に行ったんだから。

 

僕が成し遂げようとしていること比べるとまさに月とスッポンです。

 

僕の直属の上司がとても理解のある人なのでそこに救われていますが、正直僕は今、首相の気持ちが一番分かる20代じゃないかという気さえします。

 

色んな人に批判されて(正直僕もあのクオリティのマスク2枚はどうかと思う)いますが、様々な調整を様々な関係各所とした結果が、あのタイミングでのあのクオリティの政策だったのではなんてことを半ば同情的に思います。

 

 

 

僕は大学での専門は政治で、働いているのは出版業界です。なのでコロナウイルスについては専門的な知見を持ち合わせていません。

 

が、そんな僕が思っているのは、果たして今行われている自粛は、他の様々な要因と天秤にかけた時に見合ったものなのかどうかということです。

 

少なくとも現状の日本において、コロナウイルスによる死者は、世界の終わりかのような受け止め方をされるような規模ではないはずです。

 

(政府発表の数字なんて信用できないという反論もあるでしょうが、感染者数はともかく、こと死者数に関しては隠蔽できない数字でしょう)

 

毎年のインフルエンザによる関連死者数の方が多いという事実もあります。

 

(そしてそれに対するインフルは特効薬があるがコロナにはない、という反論も知っていますが、少なくとも現在の日本ではインフルや年間の自殺者の方が脅威のはずです)

 

もちろん、この後の状況次第によって、インフルや自殺と比べ物にならないほどの死者数になる可能性もあります。

 

が、今この現状においての政策は果たして冷静で理性的なものなのでしょうか。

 

いつまで人やモノの流れを止め、経済活動を自粛すれば、元の日常に戻るんでしょうか。

 

世界が繋がったことで、ウイルスは爆発的に世界に広がるようになりました。

 

そして同じようにインターネットによって世界が繋がったことにより、恐怖や不安が簡単に感染するようになりました。

 

病原菌やウイルスは家に籠もれば感染しませんが、恐怖や不安は家の中にまで侵入して来る分タチが悪いです。

 

そして、コロナウイルスで人は死にます。

 

が、経済や景気や、もっと言えば不安や恐怖でも人は簡単に死ぬのです。

 

 

 

SNSを見ているとみんなが狂ったようにコロナを恐れています。

 

気持ちは分かりますが、何度も言うようにまだ世界は終わっていません。

 

ずっと言おうか迷っていたことがありまして、僕の高校の時の担任の話です。

 

彼は元々、現政権に批判的で、個々人の政治思想はご自由にどうぞと思います。

 

が、彼はコロナウイルスが流行り始めてからものすごい頻度で、Facebookに政権の批判とコロナの恐怖の話を書き綴っています。

 

正直に言って彼の投稿だけを見ていると世紀末のような感じがします。

 

もう一度言いますが、世界はまだ終わっていないし、我々は社会を維持し続けなければなりません。

 

彼の投稿の大元にあるのは、安全と安心の混同です。

 

多分、彼のような人々は、どれだけ科学的に安全だと言われようが、信じないのです。安心だとは思えないから。

 

その証拠に、何週間か前にコロナウイルスに関連して5Gの電波が危ないという疑似科学ニュースをリポストしていました。これを見たとき、本当に頭が痛くなりました。

 

安全は科学で証明で来ますが、安心の担保は限りなく難しい。それはお気持ちの問題だからです。

 

 

 

このウイルスはたくさんの人を殺すでしょう。

 

しかし、それを織り込んだ上で、出来るだけ日常を維持し、社会を回さなければならない段階に来ていると僕は思います。自分が致死率の何パーセントかに入らないことを祈りながら。

 

 

物事の大小は死者の数でないという意見もわかります。

 

しかしその判断を最終的にするのが政治の役割だったはずです。

 

相反する二つを天秤にかけ、人々を友と敵に分けるのが。

 

そしてそれをするのは、我々市民ではなかったはずです。

 

我々はあまりにも潔癖になりすぎ、社会はあまりにも個人的空間になりすぎたと、俳優の不倫がワイドショーを賑わすたびに思います。

 

我々に求められている潔癖は手を洗うことで、政治に求められているのは理性的で残酷な判断です。

 

早く、あの日常が戻ってきたらいいのになと、僕の元担任が正気に戻ったらいいのにと、思いながらこれを書きました。

 

おしまい